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ヘンリー8世 (イングランド王) : ミニ英和和英辞書
ヘンリー8世 (イングランド王)[へんりー8せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

ヘンリー8世 (イングランド王) : ウィキペディア日本語版
ヘンリー8世 (イングランド王)[へんりー8せい]

ヘンリー8世Henry VIII, 1491年6月28日 - 1547年1月28日)は、テューダー朝第二代のイングランド王(在位:1509年4月22日(戴冠は6月24日) - 1547年1月28日)、アイルランド卿のちにアイルランド王(在位:1541年 - 1547年)。イングランド王ヘンリー7世の次男。 百年戦争以来の慣例に従い、フランス王位への要求も継続した。
6度の結婚に加えて、ローマ・カトリック教会からのイングランド国教会の分離によって知られる。ローマと対立し、修道院を解散し、自ら国教会の首長となった。だがローマによる破門のあとも、カトリックの教義への信仰は失わなかった。また、ウェールズ法諸法Laws in Wales Acts 1535–1542)によって、イングランドおよびウェールズの統合を指導した。
1513年には神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と連合して、1544年には神聖ローマ皇帝カール5世と連合してフランスを攻めるが、どちらも神聖ローマ帝国からの援助は最小限であり、膨大な戦費に堪えられず失敗に終わった。
絶頂期においては、魅力的で教養があり老練な王だと同時代人から見られ、ブリテンの王位についた人物の中で最もカリスマ性のあった統治者であると描かれている。権力をふるいながら、文筆家および作曲家としても活動した。薔薇戦争の後の危うい平和のもとで女性君主にテューダー朝をまとめることは無理だと考え、男子の世継ぎを渇望した。そのため6度結婚し、イングランドにおける宗教改革を招いた。次第に肥満して健康を害し、1547年に薨去した。晩年には好色、利己的、無慈悲かつ不安定な王であったとされている。後継者は息子のエドワード6世であった。
== 生涯 ==

=== 出生 ===

ロンドン郊外のグリニッジにあったで、ヘンリー7世エリザベス王妃の次男として誕生した。兄弟姉妹には兄アーサープリンス・オブ・ウェールズ)、姉マーガレットスコットランドジェームズ4世、アンガス伯、メスヴェン卿に嫁ぐ)、妹メアリーフランスルイ12世、初代サフォーク公チャールズ・ブランドンに嫁ぐ)がいる。1493年にまだ幼少期にあったヘンリーはの城主、に任命された。翌1494年にはヨーク公を授爵し、さらにイングランド紋章院総裁およびアイルランド総督 (ロード・レフテナント)を拝命した。ヘンリーは一流の教育を受け、ラテン語およびフランス語は堪能で、イタリア語も多少は話した。王位に上がる予定ではなかったため、幼少期の詳細は知られていない。
1501年カスティーリャ女王イサベル1世アラゴンフェルナンド2世の末子キャサリン・オブ・アラゴンと結婚していた兄アーサーが婚儀の20週後に急死し、ヘンリーはコーンウォール公および王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)となった。兄の妻と結婚することは宗教上禁止されていたが、イギリスとスペインの関係を保つため、ローマ教皇からの許可を得た後で、ヘンリーはキャサリンと婚約させられた。だが兄の死の段階でヘンリーはわずか10歳であり、結婚は延期された。その後、母親イサベル1世が死に、スペインでの王位継承問題も絡んで事態は複雑化したが、キャサリン・オブ・アラゴンはスペインの大使としてイングランドにとどまった。ヘンリーは14歳になり結婚できる年齢となったが、結婚に抵抗した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンリー8世 (イングランド王)」の詳細全文を読む




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